Owner 代表挨拶
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Kouno Kenichi 河野 健一
- メッセージ
このたびは当塾のホームページをご覧いただき、誠にありがとうございます。当塾についてよくご理解いただくため、また私という⼈間をよく知っていただくため、少し⻑くなりますが、私の⽣い⽴ちやここに⾄るまでの経歴をお話ししたいと思います。
私、英語哲⼈(本名:河野 健⼀)は、神奈川県の座間市にて、地⽅の国⽴⼤学を出て東証⼀部上場企業に⼊社した⽗と専業主婦の⺟親の元に⽣まれました。⼩学生の頃は凡庸な⼦どもで、成績はほぼオール3でした。⾼学歴・元優等⽣が多いこの業界では、珍しい存在かもしれません。中学⽣になっても⼤きく変わったわけではなく、テストの成績はそこそこ良いものの、落ち着きがなく授業中におしゃべりをするなどで、内申点はさほどよくありませんでした。
そうして迎えた⾼校受験では、地区で4番⽬の偏差値の⾼校に550⼈中500番くらいの成績で滑り込みました。⾃分としては、英語や国語などの⽂系科⽬が得意であったものの、エンジニアの⽗親の勧めと「⾒返してやりたい」という気持ちから、⾼校では1年⽣のときから塾に通い、私⽴理系を⽬指します。猛勉強の甲斐あって、3年生になる頃には理系だけの科目で学内16位に。ところが…⾃分の適性やこれから勉強したいこと、将来就きたい職業など考えると「⾃分は⽂系の⽅が良いかな…」と思い始めてしまいました。相当迷いましたが、結局3年生の夏に⽂転。私⽴理系のクラスに所属しながら、私⽴⽂系の受験を決めたわけです。授業についていくのはきつかったですが、なんとか頑張った甲斐あって、学校でも模試の成績では⽂系で学内3位というところまで上がりました。しかし、受験では上位校しか受けなかったこともあり、現役では結果を出せず浪⼈を決めます。
浪⼈時代は、河合塾千駄ヶ⾕校(東京本校)に通いました。授業は⾯⽩く、受験勉強に専念できたためとても充実した時間を過ごせました。そして努⼒の甲斐あって、河合塾の最後の全統マーク模試では、英・数・国で全国4位になったこともあります。その年の受験では落ちた⼤学もありました(5勝2敗)が、第⼀志望の⽴教⼤学法学部国際・⽐較法学科(当時)に受かることができました。
浪⼈時代に努⼒して目標を達成する喜びを知ったため、そのまま遊び呆ける⼤学⽣(⽴教には派手なイメージがありました)になるのも嫌で、⼊学式の⽇に体育会ボクシング部に⼊ります。センスはまったくなかったですが、先輩にとてもかわいがってもらい、最後は副将になって4年間続けることになります。そしてボクシング部の傍ら、勉強も頑張りました。他⼈のノートは借りずすべての授業に出て、その⽇習った内容をボクシング部の部室がある志⽊に移動するまでの電⾞の中で復習していました。その甲斐あって、卒業に必要な単位を3年次にはすべて取得することができました。また、ボクシングを続けるために、2年次からは埼⽟で⼀⼈暮らしをしていたのですが、稼いだお金を⽣活費の⾜しにするため、学校から紹介してもらった⾼3⽣男⼦の家庭教師のアルバイトをすることに。これが、私の⼈⽣に⼤きな影響を与えます。⾃分が⼀⽣懸命に教えると、その「熱」が相⼿に伝わり、相⼿も頑張るようになる。相⼿の成⻑を願って教えることにより、⾃分も同時に成⻑できる。「教える」仕事の楽しさを実感したのです。そんなこともあり「卒業したら、海外に出て⽇本語教師になるのも良いな」と思い、英語の勉強もしていました。
ところが、まわりが就職活動を始めるとそれに流されて焦り出し、結局、ボクシング部の先輩のすすめもあって⼤⼿⾦融機関に就職します。ちなみに、英語については⼤学卒業時のTOEIC(R)の点数が725点でした。これは、当時にしてはかなり良かった気がします(東⼤、早慶出身者がゴロゴロいる内定者の平均が、300~400点ではなかったかと思います)。⾦融機関には2年間勤めました。給料も良く安定していたものの、⼤学時代に家庭教師をやっていた頃に感じていた「充実感」は感じられません。周囲の反対は強く⾃分でも悩みましたが、「やっぱり教える仕事に就きたい」「夢よもう⼀度」ということで退職しました。
塾での4年間の修⾏期間を経て、⼤学受験予備校講師(英語)として独⽴し、8年間勤めました。さまざまな⽣徒様に恵まれ、充実した⽇々を過ごし「これぞ天職」と思っていたのも事実です。しかし、神⽥昌典さんなどのビジネス書を読むのが好きで「⾃分の⼒をビジネスの世界で試してみたい」また、⾃分が教える⽣徒はほとんどがビジネスの世界へ⾏くので「その世界を知っていても良いのではないか」という思いから、ビジネスの世界に⼊ることを決めます。
「⼈」を学ぶのに、営業が良いのではないかと考え、主に建築・不動産の業界で働きました。全国展開するハウスメーカーで神奈川県内でトップになったり、富裕層相⼿の収益⽤不動産の会社で年間トップになったりと、成果も出て報酬もそれなりにもらっていた時期もあります(余談ですが、成績不振でリストラされたこともあります。営業あるあるです)。
それでもやはり、「教える仕事」の素晴らしさは忘れられませんでした。また、いつしか「⾃分が理想とする塾を作りたい」と思うように。家庭持ちゆえそんなにフットワーク良くは動けないのですが、いつか塾を開くときのためにと、11年ほど前からブログ(アメーバブログ「哲⼈式英語」)を始め、英語の勉強も続けました。
そして、いろいろなご縁が重なり、2024年2⽉に満を持して「哲⼈式英語塾(実⽤英語)」「情熱塾 泰雅(受験英語・補習)」を⽴ち上げることになりました。実⽤英語に関しては、海外渡航経験⼀切なしでTOEIC(R)910点を取得。現在は満点取得を⽬指して研究を続けているため、最新情報を含めてその成果を皆様にフィードバックできます。受験英語に関しては「難関⼤学向け」を謳ってはおりますが、私の⽣い⽴ち上、「現在伸び悩んでいる⽣徒様でも、やり⽅次第で伸ばしていける」「⾃分の可能性を信じてほしい」と思っています。私⾃⾝、遠回りしてしまったこともあり「もっとこうすれば上⼿く⾏ったのに」「もっと上を⽬指すこともできたのに」と感じることも少なくありません。また、個別指導から⼤⼿予備校まで指導を14年間経験したことで、それぞれの利点と⽋点、表と裏も熟知しています。私⾃⾝、⾃分のキャラクターを活かしつつ、その⽣徒の個性に合わせた指導ができる個別〜少⼈数制の指導が得意であると認識しています。少⼈数制の医療系予備校では、テキストの編纂を任されており、英語のカリキュラムの5/6を書き換えました。さらに、下位クラスを任されていましたが、毎年必ず校内テストで上位クラスの成績を抜いていました(7年間を通じて、⼀度も抜かされたことはありません)。加えて、同校で任された個別指導では、当初数年間は教えた⽣徒の100%を合格させていました。このときの経験が、今回の塾開講の礎になっています。
⻑くなりましたが、「⾃分の可能性を信じて頑張りたい」「英語をきっかけに⾃分の⼈⽣を切り拓いていきたい」という⽅の⼒になれたら、と⼼の底から思います。あなたにお⽬にかかる⽇を、⼼より楽しみにしております。
※現在、4⼈の男児の⽗親です。⼦育て談義も得意です。
※「英語哲⼈」のペンネームで、YouTube(英語哲⼈のブレイクスルー英語)で動画を発信しております。⼀⽅通⾏の発信となるため、双⽅向の対話型授業とは形式が異なりますが、参考にはしていただけるかと思います。